喪女ドキュメンタリー

生きていくのは難しい。

はじめまして、どうも。(1日目)

こんばんは。

 

2月1日だから書き始めようかと。

アメトーーク見ながら書いています。ナダルやっべーぞ…

 

最近思うことなんだけどね、

もうさあこの世に生まれちゃったからには、20年も死なずに生きたからには、いい加減自分という存在を認めなきゃいけないなあって。

腐るほどこの決意表明を文章にしてるから、飽き飽きしちゃっとうね。

でも、そういう自分を認める心って、本当に自分が足りないものだなって、それこそ大人になって気がついた。

そりゃもちろん、それだけじゃないけど、それが圧倒的に足りない、どころか最早マイナスを振り切ってるから、これは最重要問題ですわ。

‪自尊心って本当に大切。

自分一人の問題だったら諦めても良かった。だけど、自分が自分を低く見ることで、他の人にも迷惑や不快感を与えてしまうこともある。

だからもっと自分を大切にしようと思いました。

自尊心が無いことの裏には、どこか自分を不幸に見立てたい気持ちがあるように思える。自分を不幸とすることで、悲劇のヒロインみたいな、アイデンティティーが形成される。

メンヘラ女とか正にそういうメカニズムじゃあないですかね。過剰に自分の位置づけを不憫にしている。まあ、ある意味、それでしか自分を保てないというのは不幸なのかもしれない。皮肉ですけど。

もちろん、私も他人事ではない…皮肉ってる場合じゃない。だからこそ、ちゃんと自分をそれなりに認められるように、許せるようになりたい。

 

自分に自分を好きになってもらう、

と言うとややこしいかね。だけど、まあこれを今年の目標としたいです。全ては自尊心の為。そして、ゆくゆくは私の生を認めてくれている人たちの為。

まず、自分で自分の価値を上げられるところまで上げないことには、私を認めてくれている人に対して慇懃無礼であるような気がしてきたのです。

慇懃無礼…謙遜しすぎて逆に失礼。いや厳密にはそういう意味と違います。でも、言わんとしてることを分かってもらうには、この言葉しか知らない。

謙遜のしすぎは、自尊心の欠如の顕れとも思う。つまり私、、、

だからもうそういうのやめます。

…いや、そう簡単にはやめられない。段階的にやめていこう。少しずつ自分を認めていこう。

あと、ついでに雀の脚の先ほどの小さな自分の心を守るために、強い言葉で罵るのもやめたい。罵るって誰を?それがねえ、自分でもよく分からないんだよ。とりあえず、口にしてしまう。誰もいなくなって一人になると。流石に末期と感じる。本気で口が悪い人って、あんたが一番苦手とする人じゃなかったの?あんたがそうなってどうすんの?って、私が言ってます。私に。

 

まあそういうわけで(どういうわけで?)、今日から小顔体操しようと思ったのに、そういうときに限って、鼻の下に大きな痛いニキビができて出鼻挫かれるという。

やっぱ私ってそういう人間。ある意味期待を裏切らねえ。まだまだ、好きになってもらうには時間がかかるな。

…明日からしっかりやります。

 

今日食べたものは

ミスドのアップルパイ、ウインナー1/2本、うっすいお煎餅1枚、おかき1つ、タコライス、スープ、焼ビーフン一口…かな。

これがどんどん減っていくといいですねえ。

 

 って書いてるうちに日付回っちゃったよ。ああああ今日はテストなのに。